上平寺御城下ゲストハウスうむプレオープンイベントとして開催した
「丸ごと京極家の昼下がり」(5月16日)が、無事に終了しました~。
中井先生、太田先生、髙橋学芸員、石田学芸員、
どうもありがとうございました!
そして何より、お越しいただいたたくさんのお客様、
ありがとうございました!!!
うむ代表として、まずは大感激です。
幸せです。
恐悦至極に存じます<(_ _)>
でもあれですね、
主催するともろもろ気になってしまって、
講演の内容が頭に入ってきませんな・・・・・
その辺は追々慣れるんでしょうか。
でも、また次回、このメンバーで何か実施できたら嬉しいなということで、
以下、写真でご報告いたします。
そうそう、スタッフ衆の皆様、
ほんとにほんとにありがとうございました!!!
友だちの力がなければ実現できませんでした。
今後ともよろしくお願いします<(_ _)>
写真はすべてスタッフ衆の1人、Aさんによるものです。
感動。最高。
ありがとうございました<(_ _)>
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↓以下はイベント概要おさらい↓
京極氏は、京極氏信が愛知川以北六郡を与えられ、京都の京極高辻に屋敷を構え「京極氏」を名乗ったことに始まります。佐々木氏の分家に過ぎなかった京極氏は、南北朝の内乱で京極高氏(道誉)の活躍により室町幕府の重臣となり、北近江半国の守護権と飛騨・出雲・隠岐の守護職を手にし、近江本家六角氏の力をしのぐようになります。
戦国時代の幕開けとなった応仁文明の乱(応仁元(1467)年から文明9(1477)年までの11年間)では、京極持清が六角氏に代わって近江一国守護を任じられ、京極氏の勢力を大きく伸長させました。
米原市上平寺の「京極氏館」は、持清の死後、明応元年(1492)に、改めて京極家の惣領職を認められた京極高清が、北近江の守護所として構えたもので、山麓の京極氏館、山腹の詰の城・上平寺城、さらに山麓の家臣団屋敷群と城下町を整備したと考えられています。
*これらの京極氏遺跡は国指定史跡です
「京極家」研究のスペシャリストをお招きし、「京極氏」「城」「館」「庭園」など、関わりのあるいくつかのワードをテーマにリレー形式でトーク。論文発表さながらの、仮説・定説・独自の考察を語っていただきます。トーク後は車座になっての茶話会。トークゲスト同士が「激論」を交わすほか、参加者の質問にもすべて答えます!
研究者と膝突き合わせて京極家のことを語り明かす初めての試み。楽しくないわけがない!
2021年5月16日(日) 13:00~
髙橋順之氏(京極家と上平寺の全体像、コーディネート)
中井均氏(城)
太田浩司氏(京極家)
石田雄士氏(庭)
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